2022/11/07 コラム
犯罪報道の犯罪
タイトルは元同志社大学教授の浅野健一さんの著書名である。逮捕された被疑者を実名で犯人視し、プライバシーを暴く犯罪報道を痛烈に批判した同書は、日本社会に衝撃を与えた。その影響は弁護士にも及び、昭和62年11月7日に日本弁護士連合会が「人権と報道に関する宣言」を出している(https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1987/1987_1.html)。現在に至るまで、マスコミは犯罪報道の改善をしてきてはいるが、呼び捨てを容疑者表記にするといったもの等、小手先に過ぎない。
しかし、犯罪報道の問題は過去の議論ではない。インターネットやSNSが普及した現代において、一度報道されてしまえば、その情報は一気に拡散され、しかもデータとして残る(いわゆるデジタルタトゥー)。報道された犯罪は将来起訴され裁判になり得るところ、証拠とされるかどうかもわからない、捜査機関からリークされた任意性や信用性も吟味されていない被疑者の供述や小中学生時代の友人の言葉、卒業文集の作文等が、将来裁判員として事実認定者になり得る市民の目に、否応なく入ってしまう。
この問題意識は裁判員制度導入時にも当然議論された。2007年9月27日には、最高裁事務総局刑事局の平木正洋総括参事官(当時)は、福井氏で開かれたマスコミ倫理懇談会全国協議会全国大会の「公正な裁判と報道」をテーマにした分科会で講演し、問題のある報道として、①容疑者が自白していることやその内容②容疑者の弁解の不合理性を指摘すること③犯人かどうかにかかわる状況証拠④前科・前歴⑤容疑者の生い立ちなど⑥事件に関する有識者のコメントの6項目を挙げて、これらを報道することについて、裁判員に対し、被疑者が犯人だという予断を排与える可能性があるとして、「公正な裁判のためには一定の配慮が必要だ」と述べ、報道界に指針づくりを求めた(いわゆる平木六項目)。これについて、朝日新聞は「それまでの事件報道を全否定するような内容だった」と評している(『事件の取材と報道2012』21頁(朝日新聞事件報道小委員会、朝日新聞出版、2012年))。
しかし、結果として2008年1月に新聞協会と民放連が出した指針は、「各社で対応する」というものであった。新聞協会の取材・報道指針は、「これまでも我々は、被疑者の権利を不当に侵害しない等の観点から、いわゆる犯人視報道をしないよう心掛けてきた」と言うが、一方で「事件報道には、犯罪の背景を掘り下げ、社会の不安を解消したり危険情報を社会ですみやかに共有して再発防止策を探ったりすることと併せ、捜査当局や裁判手続きをチェックするという使命がある。被疑事実に関する認否、供述等によって明らかになる事件の経緯や動機、被疑者のプロフィル、識者の分析などは、こうした事件報道の目的を果たす上で重要な要素を成している。」と言う。しかし、これは被疑者が犯人であることを前提としたものである(以上につき、『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』2頁以下(浅野健一、昭和堂、2009年6月)参照)。マスコミに自浄作用は期待できないと思う。
朝日新聞によると(上掲『事件の取材と報道2012』15頁以下)、「事件報道は実名を原則とする」とのことだ。他方、「氏名権は自己の氏名を独占的排他的に使用できる権利として認められている」とも述べており、独占的排他的に使用できる氏名を、朝日新聞は何故被疑者の同意なく使用できるのか、私にはわからない。
実名報道を原則とする理由として、朝日新聞は、①基本要素、②真実性の担保、③匿名による混乱防止、④権力監視を挙げる。
①基本要素について、「社会で何が起きているのか」という関心に応えるには5W1Hのニュースの基本要素が欠かせないと言う。しかし、自身の知名度を背景とした事件等の特殊な場合を除き、犯罪において、その主体が誰であるかが重要な要素となるとは思われない。通常、犯罪は誰が行っても犯罪なのである。上記の「犯罪の背景を掘り下げ、社会の不安を解消したり危険情報を社会ですみやかに共有して再発防止策を探ったりすることと併せ、捜査当局や裁判手続きをチェックするという」事件報道の使命といった観点からしても、その使命を達するために被疑者の氏名が必要とは思えない。
②真実生の担保について、実名は取材の出発点であり、報道に真実性を担保する重要な手がかりともなると言う。しかし、それは取材時の話であり、取材後の報道時には当てはまらない。現在の犯罪報道は、多くの場合逮捕されていなければ実名報道ではないところ、朝日新聞は逮捕されていない場合は記事の真実性を放棄しているということになる。
③匿名による混乱防止について、匿名報道は、地域社会や特定の人たちの間で「犯人捜し」や「疑心暗鬼」が広がるなどの無用な混乱を招く場合があると言う。しかし、それらは地域社会や特定の人たちの問題であって、いじめの加害者がいるからいじめの被害者に対応を迫るような論理である。また、実名報道によって地域社会や特定の人たちの間で犯人扱いされ生活できなくなるという、現実に起きているより深刻な問題を看過した机上の議論である。
④権力監視について、捜査機関など権力機構の恣意的な情報隠しや誤りがないかをチェックすることは報道機関の役割のひとつである、実名での報道は権力を持つ人物が法を適正に執行しているかについて国民の側からの監視をより容易にする、だれが逮捕されたか起訴されたかを実名で伝えることが容疑者・被告の人権を護ることにもつながるという。しかし、権力監視などというのは、まずは捜査機関の大本営発表を垂れ流すだけの事件報道をやめてから言ってほしい。権力監視と言いながら、警察官や公務員などの犯罪は、その多くが逮捕されていないことから、匿名報道であるのが通常であって、権力を監視していない。例えば、沖縄県で起きた、バイク走行中の高校生が警察官の警棒に接触し失明した事件で、朝日新聞は、「沖縄県沖縄市の路上で今年1月、警察官と接触した男子高校生が失明した事件で、県警は2日、警棒を持って高校生に接触した沖縄署地域課の男性警察官を特別公務員暴行陵虐致傷の疑いで、那覇地検に書類送検する。警察官に故意があったことを立証できると判断した。捜査関係者への取材でわかった。」と報じている(https://www.asahi.com/articles/ASQC23QG5QC2TPOB001.html)。書類送検とあることから、被疑者は逮捕されていないことがわかる。職務中の犯罪であるから、権力監視の観点からは是非とも実名報道すべきとなるはずであるが、匿名報道である。また、法の執行を云々するのであれば、逮捕について言えば、令状を請求した警察官、令状を発付した裁判官、令状を執行した警察官こそ実名で報道すべきであるが、彼らが実名報道されることはない。ネタ元を悪く報道することはしたくないのであろう。実名報道が冤罪の救済につながり得るという実態は確かにあるが、報道される者の意思に反してマスコミが実名報道することの是非が問われているのであって、問題としている場面が異なる。
上掲『事件の取材と報道2012』55頁以下によると、朝日新聞は、「任意の取り調べや参考人聴取の段階ではまだ容疑が固まっているとは言えず、原則匿名で報じ、逮捕された時点で実名・容疑者呼称に切り替える」、書類送検について「検察官は、これ(書類送検)を受けて起訴するかどうかを判断する。従って、書類送検されても起訴されないケースは多く、書類送検の時点では原則、実名・肩書き呼称とするのが望ましい」という。しかし、起訴不起訴の判断は逮捕の有無と関係がない。上記①〜④の実名報道の理由からすれば、逮捕の有無は関係がないはずだが、逮捕の有無によって実名報道か否かを分けるというのは、結局は、捜査機関が逮捕までしているのだから実名報道しても大丈夫だろうと、報道の責任を捜査機関に転嫁しようとしているのではないかと思う。もっとも、逮捕状が出たからといって、嫌疑が十分というわけではない。令状の自動販売機と言われるように、裁判所は簡単に令状を発付するからである。
以上見てきた限りでは、実名報道に十分な理由があるとは思われない。
私は、実名犯罪報道には、原則として反対である。例外として、被疑者であるその人が重要な意味を持つ場合には、実名犯罪報道もあり得るかもしれない。私人か公人かで区別はしない。判決が確定した場合であっても、実名報道には反対である。受刑後の社会復帰を害するからである。再審によって覆る可能性もある。
反対する理由は、上述に加え、日本国憲法13条に基づく自己情報コントロール権による。マスコミには、他者の情報を本人の意思に反して報道する権利はないと考える。より重大なのは、実名犯罪報道の被害は、取り返しがつかないという点である。一度報道されてしまうと、それによって形成される社会イメージを元に戻すことはできない。マスコミにより容疑者として報道されたが最後、元の生活には戻れない。仕事を失い、家庭は崩壊する。
最近では、インターネットが普及したことにより、マスコミが実名報道しなくても、ネットで特定されてしまうといった意見も耳にする。しかしこれは、大麻を規制しても裏で手に入るから皆勤すべきという論理と同じであって、採り得ない。
犯罪報道についてより理解を深めたい方に、以下のサイト、書籍を紹介する。
・人権と報道・連絡会
http://www.jca.apc.org/~jimporen/
・『憲法から考える実名犯罪報道』(飯島滋明編著、現代人文社、2013年5月)
https://www.amazon.co.jp/%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E5%AE%9F%E5%90%8D%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E5%A0%B1%E9%81%93-%E9%A3%AF%E5%B3%B6-%E6%BB%8B%E6%98%8E/dp/4877985522
・『適正な刑事手続の保障とマスメディア』(渕野貴生著、現代人文社、2007年2月)
https://www.amazon.co.jp/%E9%81%A9%E6%AD%A3%E3%81%AA%E5%88%91%E4%BA%8B%E6%89%8B%E7%B6%9A%E3%81%AE%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E6%B8%95%E9%87%8E-%E8%B2%B4%E7%94%9F/dp/4877983279
以上